岩国高等学校90周年、100周年記念誌に見る
プレクトラムアンサンブルの変遷

 ●岩国高等学校90周年史 より (昭和44年3月31日発行) 一部訂正加筆

昭和20年代の初頭、終戦直後におけるクラブ活動はどのようなものであったろうか。

当クラブは昭和21年に発足したハーモニカ・アンサンブルにその源を発する。
当時は戦後の混乱期の最中で器材も整いにくく、バイオリン、ハーモニカ等の種々様々な楽器を持ち寄り、旧銃器庫(後に野球部の部室となる)で合奏を始め、次第に形も整って、リズムパートにウクレレとギターが加わり、更にアコーディオンが入って岩中ハーモニカ・アンサンブルとなった。
この頃これと別にマンドリン、ギターを中心としたマンドリン合奏団が芽生え、次第にハーモニカアンサンブルを吸収していった。

昭和23年4月1日岩国中学校は山口県立岩国高等学校と改称され、5月15日に開校式が行われて、現在の体裁を一応整えると共に自治会が発足し、校友会組織も確立された。

翌、昭和24年12月24日、この年に就任された石神 正校長のご理解を得「聖夜」を合奏するに至りプレクトラムアンサンブルが誕生した。

昭和24年には第一マンドリン佐伯、吉岡、第二マンドリン高木、井上、ギター福島、米村のメンバーで山口大学教育学部の講堂で行われた県音楽コンクールに初参加し、現在のプレクトラムアンサンブルの基礎がかためられた。なお、この部を生み出し現在のように発展させたのは故熊谷幹雄教諭である。

昭和25年東高普通科と合併し岩国高校は完全共学となり、クラブも横山、川西が統合され、ほぼ現在のクラブ組織に近いものまで発展した。

昭和24年に初参加した県音楽コンクールは昭和26年に山口県高等学校連合音楽会となった。

山口県高等学校連合音楽会
第1回 昭和26年2月 防府高 序曲イ長調、ムーアのグラナダ
第2回 昭和26年6月 山口大 村の祭典、水車場のほとりにて
第3回 昭和27年6月 下関商 序曲ミルタリア
第4回 昭和28年6月 宇部 スペインの印象より 行列、ボレロ
第5回 昭和29年6月 柳井高 古戦場の秋
第6回 昭和30年6月 萩市 マンドリンニストの行進、セビラの碧空
第7回 昭和31年6月 下松市 マンドリンマーチ、序曲ミレーナ
第8回 昭和32年10月 山口大 序曲バグダッドの太守、ムーアのグラナダ
第9回 昭和33年6月 白石中 山嶽詩
第10回 昭和34年6月 徳山市 序曲ミルタリア
第11回 昭和35年6月 防府高 ミレーナ
第12回 昭和36年6月 白石中 序曲水車小屋の娘達
第13回 昭和37年6月 小野田高 序曲バグダッドの太守
第14回 昭和38年 宇部市 クワイ河マーチ、ザ・ロンゲストディ、マカレナの乙女
第15回 昭和39年 徳山高 序曲水車小屋の娘達
第16回 昭和40年 萩市 モーツァルトのセレナーデ第1楽章
第17回 昭和41年 宇部市 悪魔の飾り、行進曲「若人」

昭和38年プレクトラムアンサンブルはNHK主催全国器楽コンクール中国予選で優秀校に選ばれた。
この他NHK、ラジオ山口等を通しての放送も数回行われており、このうち第1回は昭和25年、FKよりの放送を初めとし、昭和26年には広島放送局からNHK第2放送を通じて全国放送、更に昭和41年にはNHKテレビによって部の内容が紹介されるにいたったのである。
このほかに一般公開としては昭和25年より毎年定期演奏会を開催、毎回盛況をきわめている。  



●岩国高等学校100周年記念誌 より (昭和55年3月31日発行)

終戦直後の荒んだ学園生活に少しでも潤いを、と故熊谷幹雄教諭によって作られたハーモニカ・アンサンブルがプレクトラムアンサンブル部として正式に発足したのは昭和24年のことである。

以後同教諭の熱心な指導のもとにその活動も年々盛んになり、昭和43年に同教諭が逝去された後も、今日までその伝統が受け継がれいる。昭和52年には定期演奏会も30回を数え、この間OBを中心に結成された岩国市民マンドリンクラブも20周年を迎えた。これらを機に「岩国プレクトラム三十年史」という記念誌も編纂されている。

現在部員は百名を超え、女子棟1階の五つの教室を使用して活動している。年間を通じて主な活動は、新入生歓迎演奏会、定期演奏会、文化祭での演奏であるが、山口県高等学校連合音楽会にも参加している。

県内他校に類似の部が少なく、コンクールなども殆どないため少しでも発表の場を、と部員をいくつかのグループに分けて部内コンクールを開いたりもしている。